- 手放した服を、手放した後で着る機会に出くわした
- モノの位置を変えて、見た目スッキリしたが、前より使いづらくなった
などなど、片づけをしていると、これに近いことは一度や二度経験したことはあるだろう。
プロとして活躍している人だって例外ではない。でも、プロは悩んではいない(はず)。この違いは何だろう?
期待通りにならなかったときの対応の違い
ここで書いている「期待通りにならなかった」とは、人によっては、
- 失敗した
- 間違えた
- 誤った
と捉えるのかもしれない。ここでは、それらを含めて、「期待通りにならなかった」と表現している。
期待通りにならなかったとき、人は大きく分けて2パターン何れかの反応をする。
- 自分の実力はこれくらいであり、ほとんど変えることはできない。
- 今回はできなかったが、必要な時間とエネルギーさえ費やせば同じような事態にはならない。
説明のため、1を「コチコチ脳」、2を「しなやか脳」と呼ぶことにしよう。
コチコチ脳の特徴
期待通りにならなかったことを「ぶざまな失敗」とみなし、このような事態になったのは自分に十分な能力がない証拠だと考える。
自尊心を守るために、ぶざまな失敗をなかったことにしようとする。(その人の中では無いことになっているので、)これらから何かを学びとろうとはしない。
ぶざまな失敗に対する注意力は変わらないので、同じことを繰り返してしまう。
結果にフォーカスしていると、このような特徴が現れる。
しなやか脳の特徴
期待通りにならなかったことを、知識を得るために必要な過程であり、「学びの原動力」ととらえる。
何が原因で期待通りにならなかったのか、どうすれば期待通りにいくのか、を追求するので、過去の経験を活かすことができ、同じ事態が起きた時の注意力が増す。よって同じことを繰り返す可能性は低くなる。
プロセスにフォーカスしていると、このような特徴が現れる。
コチコチ脳をしなやか脳に変えるには
注)コチコチ脳がダメというわけではない。
あなたがコチコチ脳から、しなやか脳になりたいならやることは一つ。
失敗を失敗と素直に認めること。
「ぶざまな失敗」と捉え隠そうとせず、「期待通りにならなかった」事実をそのまま受け入れる(そこに感情を乗せない)ということ。
受け入れた後で、「どうでもいい」と思うか、「なんとかしたい」と思うかはあなた次第。
なんとかしたいと思ったならば、そのときはすでにしなやか脳になっています。
まとめ
結果以上にプロセスにフォーカスしよう。
期待通りにいかなったことを素直に認め、理解し、学び、改善しよう。